*翔点*

へタレ翔さん大好き!
更新はのーーんびりですが、ちゃんと生きています(*´∀`*)
<< LOVE Letter | main | 10th anniversary >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - | - | - |
だから今、ここにいる
 5月26日、じいちゃんが亡くなりました。

人を失う寂しさを心の底から感じました。

夜勤明けだったあの日、夜8時に電話が鳴った。
「じいちゃん、逝ってまいなった」
数日前、話したのに。
「ばいばい、また来るでの」って言ったのに。
それが最後の会話になるなんて思ってもなかった。

家に帰ってきたじいちゃんは、ただ寝てるだけかのように安らかな顔だった。
ずっと家に帰れなかったから、1日家で過ごしたんだけど、
私はなかなか死を受け入れられなかった。
突然すぎて、辛くて、いっぱいいっぱいで、信じたくなかった。
初めてそれを実感したのは、
通夜の日、身支度をして、綺麗な箱に入った時だった。


式が終わって最後のお別れのとき、
冷たくなったじいちゃんの頬に手を添えて
「よう頑張ったの」って言ったけど、涙で全然見えなかった。


辛くて辛くて、涙は止まることはない。
ふとした時に、思い出すたび涙は出てくる。
泣いても泣いてもこの悲しみが薄れることはないのに。


今まで本当にありがとう。
じいちゃんは私に夢を教えてくれた。
「病気の人を笑顔にしたい」
だからこそ、今の自分がいる。
そして、私に名前を付けてくれた人だった。
「こころのひろいひとになりますように」って。
それだけじゃないよね。
最近、気づいたよ。もう一個の意味。
じいちゃんの願う、私になれるようこれからもがんばるよ。


病を負ってからもじいちゃんはずっと諦めることはしなかった。
”杖を使って一人で歩く”目標を持って来る日も来る日も頑張っていた。
強い人だった。
そんなじいちゃんの姿を見て、私も頑張らなきゃっていつも元気をもらっていた。


瞼を閉じれば、藁帽子を被って庭樹の木漏れ日の中にいるじいちゃんを思い出す。
車いすで一緒に墓参り行ったよね。
家で一緒にリハビリしたね。
色んな思いでいっぱい作ったね。

亡くなってから数日後、入所してた施設から持って帰った荷物の中にじいちゃんの日記があった。
動かない右手で毎日生きた証が書かれていた。
その中に私のことも書いてあった。
”2月24日
ひろこさん、国家試験の日。無事受かって看護婦さんになれますよう。”
国家試験に合格したことを伝えた時、嬉しそうに笑いながらも
「どんなに面白くないことがあっても、笑顔だけは忘れたらあかん」って言っていた。
忘れてないよ。これからもずっと忘れることはない。
じいちゃんは患者、障害者、家族として、ケアする側の私にいつも忠告をしてくれた。
なかなか顔を見に行けないと心配してくれていた。

後悔もある。やり残したこともある。
辛くてさみしくて悲しくてどうしようもない。
でも、そのつらさ以上にたくさんの夢や幸せを教えてくれた。

いつだったか、昔担任の先生がじいちゃんばあちゃんっ子な私に
「亡くなった時辛いから、ある程度距離をとっておいたほうがいい」って言ったことがある。
確かにつらいよ。距離をとっていればこんな辛さを味わわなかったのかもしれない。
それ以上に大切なものを感じれたから、私は間違ってない。
これだけは言える。


今までもらった元気を糧に、これからもがんばるよ。
ずっと忘れないから。忘れるわけがないから。
じいちゃんの分も生きていくから。
見守っていてください。
| ヒロ* | - | 23:38 | comments(0) | - | - | - |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 23:38 | - | - | - | - |










一番上へ